はひふへほ(前編)

部屋の片づけをしていたらメモが出てきた。
自分の字ではない。
誰からもらったのかも忘れてしまった。

 は・・・半分でいい
 ひ・・・人並みでいい
 ふ・・・普通でいい
 へ・・・平凡でいい
 ほ・・・ほどほどでいい

と書いてある。

このメモをもらった当時、「こんな風に思えたらいいな」と思った。
そう思ったから取っておいた。
このメモから感じたのは「自分を律する力」「現状を肯定する力」だった。
仏教でいう「中道の教え」や、最近よく言われる「自己肯定感」のようなものをこの言葉から感じた。
「こんな風に思えたらいいな」と憧れた理由は、
なかなか自分をコントロールできないから。自分を肯定できないから。

だけど、あの頃に憧れていた心に
なぜか、今なっている。
自分の心が変わっていったのではない。
自分の心を変える努力をしたのでもない。
法の御徳に向かった時に、憧れていた心にさせて頂ける。
法とは南無阿弥陀仏。

ただいま、ここで、南無阿弥陀仏に肯定される。
この私のままで。
南無阿弥陀仏の御徳によって
「ただいま、ここで、生きる」
「この私として生きていく」
「私」としての人生をまっとうするんだ。
そう思える。

あの頃の憧れが、自分が予期せぬかたちで、またひとつ叶っていた。

なんまんだぶ。

# by sunao-bluelite | 2018-03-21 09:15 | Comments(0)

選び取らされた道

どうしたら私の念仏がシイラの念仏ではなくなるのか。

どうしたら私一人のご本願と聞けるのか。

その「どうしたら」の答えを私は聞きたかったが、

私の先生は、その解決法をひとつも教えてくれなかった。

私は先生のようになりたくて、自ずから念仏を称え、阿弥陀如来のご苦労を聞いた。

念仏を選択したのも私。

弥陀の言葉に耳を傾けたのも私。

私が自分の意思で選んだ道。

しかし、それは私が選ばさせられた道だった。

阿弥陀様とお釈迦様と諸仏と先生によって、選び取らされた道だった。

ここに恩徳讃があると思う。

私にこの道を選び取らしめんとご苦労してくだされた方々がいらっしゃるから、恩徳讃がある。

ただいまの南無阿弥陀仏が、私の恩徳讃である。



# by sunao-bluelite | 2018-03-19 09:19 | Comments(0)

選んだ道

私の先生は、未信の私に「念仏を称えなさい」とは言われなかった。

「真剣に聞きなさい」とも言われなかった。

ただ、「称え心に二つある」ことを教えて下さった。

また、「私がいかにして聞くか」ではなく「私にいかにして聞かせんとしているか」に苦心なさった御方がいることを教えて下さった。

私はただ先生のようになりたかった。

先生と同じ心になりたかった。

私は先生の言葉に導かれて、自ずから念仏を称え、阿弥陀如来のご苦労を聞いた。

念仏を選択したのも私。

自分の心を見つめることをやめ、弥陀の願心に耳を傾けたのも私。

すべて私が自分で選んだ道。


# by sunao-bluelite | 2018-03-18 08:58 | Comments(0)

いいから、いいから。

朝や晩にお聖教を読んでいる。

それが楽しみになっている。

先月から梯実円和上がお書きになった

「聖典セミナー教行の巻」を読んでいる。

帰宅するとソファーの上に載せて

読めそうな頃合いを待っている。

我が家には小さな子どもがいるから

じっくりと読めるのは子どもが寝た後。

409ページもある分厚い本を、

少しずつ読み進める。


ある日、その本を息子がひらいた。

その時に言った言葉が


「いいから、 いいから。」


ぎょっとした。

息子の言葉が阿弥陀さまの

「お差支えなし ご注文なし」

に聞こえたからだ。


庄松同行のように

本をさかさまにもった息子が

「むかーし むかし、あるところに~~」

「いいから いいから」

と言うのを聞くと、

ひょっとして阿弥陀様のことを知っているのかな?と思う。

君と離ればなれの生活をしたのを機に

パパは阿弥陀様に出逢えたんだよ。


君がパパの善知識。

ありがとう。


なんまんだぶ なんまんだぶ


# by sunao-bluelite | 2018-02-22 13:53 | Comments(0)

南無阿弥陀仏の姿になって

私に会いに来てくださった仏様

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

ただいま、ここで、出会える仏様



# by sunao-bluelite | 2018-02-16 09:38 | Comments(0)