人気ブログランキング | 話題のタグを見る

弥陀と私の関係

仮想通貨を買った人たちが騒いでいる。

通貨はそもそも国の信用力を基に成り立っているもの。

日本円だって、日本の未来によってどうなるか分からない。

日頃あたりまえのように使っているお金も実は不安定なもの。

普段はそれに気づかないだけ。


仮想通貨は為替の垣根を飛び越えて決済がしやすいようにと作られたもの。

だけど買っている人たちの9割以上が投機目的。

投機とは、投資と異なって丁半博打のようなもの。

価値が上がったら喜んで、下がったら泣く。

そんな世界。


仮想通貨を持っている人たちは

「いま買えば儲かるらしいよ」

と言ったり、聞いたりしていたようだ。

虚妄な言葉に踊らされて一喜一憂する虚妄な世界。


虚妄な世界に生きて、泣いたり笑ったりしている私に

南無阿弥陀仏が飛び込んできた。

私はいま、「南無阿弥陀仏」という真実の言葉を
言ったり、聞いたりしながら

阿弥陀仏の願心を頂いている。

虚妄のひとつも無い仏様の願いに生かされている。


虚妄な世界の中で。


なまんだぶ、なまんだぶ。


# by sunao-bluelite | 2018-02-14 15:14

命の尊さ

座間でひどい事件があった。

こういう凄惨な事件の報道を聞くと
「さるべき業縁の催せばいかなる振る舞いもすべし」
の親鸞聖人のお言葉がいつも浮かぶ。


命の尊さが分からず、自分の人生も他人の命も大切にできない。
被害者の女性のひとりは「死にたいけど一人では怖い」と言っていたようだ。
生命の尊さが分からない、という点においては、加害者も被害者も共通していたと思う。

曽我量深先生の著作を開いたら、ちょうどこのような文章があった。

 我が身の上にいちいち本願を頂くと、今度は他人の苦しみもまた分かる。

 理屈ではない。自分で真実に長い間おたすけについて苦しむなら他の人も分かる。

 人間は罪を犯したり脱線したりするが、人間が迷うのはただ迷うのではない。

 子どもが間違うのは、子どもが真実を求めて、得ないからであろう。

 その求めているのは何であろう。それは本願である。

 衆生が脱線し、間違いをする。普通の人は見捨ててしまう。

 しかし阿弥陀はその間違いを起こしておるのは、間違いの元があるに違いない。

 子の間違いは、真実を求めて自暴自棄しておるからであろう。

 その迷いの根本をつかんで迷う者を捨てぬ。これが大悲である。

 天親の五念門の行の、廻向門を釈するのに、一切衆生の苦悩を捨てず廻向を首として大悲心を成就したとある。


 今日は思想が乱れている。

 若い人が悪いと老人は言うが、なぜ青年が間違いをするのか。

 真実がないからである。真実に飢えているのである。

 その真実を得ない悩みである。

 青年は、真実がないと自暴自棄している。

 真実の象徴、南無阿弥陀仏が大切である。

 真実は他ではない。真実は南無阿弥陀仏である。

             (曽我量深集・上・11)

この言葉は昭和28年のものだが、平成の時代になっても何も変わっていないとつくづく思う。
私たちが絶望した時に本当に救ってくれるのが、仏様の心。
宿善まかせとは言われるけれど、たまたま御法に遇えたことをありがたいと感じる。
いま自暴自棄になっている人、いま絶望の真っただ中にいる人、どうか大悲を聞くご縁に遇って頂きたいと
願うばかりです。

南無阿弥陀仏


                  


# by sunao-bluelite | 2017-11-10 14:27

お悩み相談室

阿弥陀さま。
憶念の心あれど、思っていたほどお念仏が出ません。
お慈悲を知らされる前に自分が思い描いていたのは、もっとお念仏する自分でした。
お念仏称えないと申し訳ない…そう思うと余計に出ないんです。

 これ、スナオ。
 何で回数を問題にするんだい?
 本願を見てごらん。
 乃至十念とあるだろう。
 回数を問題にしないんだと
 親鸞も言っているではないか。
 たくさん称えた者を助ける本願ではないと
 お前も分かっているだろう?
 どう思おうがお前の自由だけどな、
 それでお前の往生は変わらない。
 私を深く信じて称える一声の念仏で
 十分なのだよ。

眩しい朝陽の中、じょうろ片手に庭を行ったり来たりしていたスナオから、
涙とお念仏がこぼれました。
# by sunao-bluelite | 2017-08-12 08:44

普通が一番難しい

特別な人になるんじゃない。
普通の人になるのです。

# by sunao-bluelite | 2017-08-11 01:19

武装解除

因果の道理で自分の信仰を正当化して
自分の立場を守ろうとする心を
阿弥陀さまが気づかせてくれる。

自分を守ろうとする心にあきれるのも
批判をおそれる心を手放せるのも
私を包んでくださるお慈悲のはたらき。
そう感じる。

あの頃の自分は緊張しながら話をしていた。
批判がおきないように、波風がたたないように。
炎上してもすぐに火が消せるように理論武装をして。

いまは同級会で懐かしい友達と話すように
ざっくばらんに阿弥陀さまの話が出来る。
阿弥陀さまの言葉に相手が素直に耳を傾けてくれる。
それは自分が緊張していないからだと思う。

阿弥陀さまの勅命は、
緊張の糸でがんじがらめになっている心を
解きほぐしてくれました。
私を自由にしてくれました。

なまんだぶ、なまんだぶ。




# by sunao-bluelite | 2017-08-08 14:38