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色眼鏡

「自分が色眼鏡をかけている」

そう感じながら生きている人はどのくらいいるだろうか。

みんなが「あの人って良い人だよね」というような人でも
私には合わない。と思うことがある。

逆に、まわりから「あの人ってちょっと変わってるよね、つきあいにくい」
というような人が、自分にとってはとっても付き合いやすくて親しい人だったりする。

そんな時に私は「自分が色眼鏡をかけているなぁ」と感じる。

どんな色眼鏡か。
それは自己中心的な色眼鏡。
自分にとって、好きか嫌いか。
自分にとって、都合が良いか、悪いか。
自分にとって、損か得か。

「自分にとって」というのが「自己中心的」ということ。
その色眼鏡で、物事を判断する。
周りの人に対しての善悪。
世の中に対しての善悪。

あの人は良い人だとか悪い人だとか。
いまの政治は良いだ悪いだ。
などなど。

この色眼鏡をかけていない人はいるのだろうか。
自分の損得抜きに世の中を見ることが出来る人はいるのだろうか。
もしそんな人がいたとしても、自分自身はどうかなのか。
私はそういう色眼鏡をかけて生きている人間。

そしてもうひとつ、色眼鏡をかけている。

これは仏さまの教えを聞かないと分からない色眼鏡。
仏さまのこころに対する色眼鏡。
親鸞さまの言葉で言えば、
「仏智疑惑」「阿弥陀仏の本願を疑う心」

阿弥陀さまは約束している。

 お前を信楽の心にしてみせる
 念仏称える身にしてみせる
 そして極楽に生まれさせる
 この弥陀にそのまままかせよ

ところが
こう聞いても

 そんな風になれるはずがない!
 いますぐにはなれないでしょ!
 努力しないとなれないでしょ!

と思ってしまう。

そういう色眼鏡。
阿弥陀さまのお約束はずーっと前からなされているのに
変わらずにここにあるのに
それをそのまま受け取れない。

その色眼鏡をかけているから幸せになれないんだよ。
と教えられたのが、お釈迦さま。親鸞さま。

 じゃあ、この色眼鏡を取ればいいんですね!

という私に向かって、その心が「自力」だよと
親鸞さまは教えられました。

この眼鏡は自分ではとれませんでした。
親鸞さまのお言葉によって、色眼鏡をかけている自分を知らせてもらう。
どんな色眼鏡なのかを教えてもらう。

 善知識の言葉の下に、帰命の一念を発得する

その色眼鏡が取れたそのときに
阿弥陀さまの本当の願いが知らされる。
阿弥陀さまのこころにふれる。
南無阿弥陀仏に出会える。

自分の力はひとつも無い。
ただ善知識のお言葉と阿弥陀さまの御力によるものでした。
 

by sunao-bluelite | 2017-06-28 08:37