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悠久のいのち

母親ほどの年齢のお同行さんと仏法讃嘆しました。

「信受本願 前念命終」
「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり」
 についてでしたね。

◆◇◆ 阿弥陀さまの救い ◆◇◆

「いつ死んでも崩れない絶対の幸福」

と教える人があると聞きます。
阿弥陀さまの救いと照らし合わせると、どこかシックリきません。
(間違っていると言うつもりもないですが・・・)

「いま死んでも後悔しない幸せ」

くらいの表現がシックリくる。

◆◇◆ いつ死んでも? 「いま」でしょ! ◆◇◆

そもそも…
「いつ死んでも」だなんて、「自分の死」を近くに見ている人からは出てこないセリフだと思う。
死を他人事のように遠くに眺めているから「いつ死んでも」になるのであって、それは「自分の思い」であり、「妄念」です。

大切なのは、「今」です。
「今、死ぬ」となったらどうか、自分の心に聞いてみる。
納得できるだろうか。
後悔しないだろうか。

「今、死んでも」を「いつ死んでも」に言い換えるのは「逃げ」だと思う。
「今、死んだら困る人」が使う言葉だと思う。

ところが、私たちは死を遠くに観ることしかできません。
どこまで行っても「自分は死なない。大丈夫。」の心は無くならない。
「今、死んで後悔しないか?」と問われると都合が悪いので、私の心は仏法から逃げていきます。
何がどうなったら後悔しない人生になるのか、わからないままで。

◆◇◆ 一念の救い ◆◇◆

そんな私を救ってくださるのが阿弥陀さまです。
仏法から逃げていく心を、仏法聞く心に変えて、そのままお慈悲に包んでくれます。
その時間の速さを「一念」と言われています。

お慈悲に包まれたらどうなるか。
「今、死んで後悔ない」と受け入れられる。
「人生、これでよし!」と喜べる。
なんで受け入れられるのか。
なんで喜べるのか。
それは輝きがあるから。
肉体の命しか知らなかった私が、悠久の「いのち」を知るから。
私の心の中に届いた、心の底まで届いた、いのちの輝きがあるんです。
その輝きがあるから、この世に後悔がないのです。
その悠久の輝きが、阿弥陀さまのいのちです。

「日も月も 蛍の光さながらに 行く手に彌陀の光輝く」

ある人が、亡くなる直前に残した言葉だそうです。

肉体の命しか知らなかった私が、悠久のいのちを知る体験。
それを教えて下さった言葉が
「信受本願 前念命終」
だと味わわせて頂きました。
親鸞さまのお言葉を一緒に聞かせてもらえて幸せです。
どうか言葉の意味だけでなく、聖人が伝えたかった「こころ」「いのち」を早く知ってもらいたいと思うばかりです。


by sunao-bluelite | 2017-06-23 10:52